2018年9月に芸能界を引退した安室奈美恵(あむろなみえ)さん。
10代の頃に人気に火が付き、26年もの間第一線で活動してきました。
そんな安室奈美恵さんの若い頃の画像や、デビュー当時の話、
引退秘話についてご紹介します。
安室奈美恵のプロフィール
本名:安室奈美恵
生年月日:1977年9月20日
出身地:沖縄県那覇市
身長:158cm
体重:40kg
血液型:O型
事務所:avex
安室奈美恵さんは沖縄県那覇市出身です。
安室さんは3人兄妹の末っ子として生まれ、小学5年生の時、友達が行っていたタレント養成所のレッスンに一緒に行った際に、そこの養成所の校長にスカウトされました。
しかし家庭の事情で月謝が払えないとの理由で、入校をやめる決断をしましたが、校長に見込まれて異例の特待生として入校しました。
養成所に入った当初はは人見知りが激しかった安室さんでしたが、琉球放送のローカル番組『HOTNIGHT おきなわ愛ランド』で行われたカラオケ大会に出場し、見事優勝したことで周囲を驚かせました。
当時の小学生だった安室さんがテレビに出ていたことがありましたが、もうすでにその頃から可愛らしい安室さんでした。
その養成所では[歌][女優][ダンス]が選べたようでしたが、安室さんは女優でしょ!と当時は女優志望だったようです。
その後も映画やドラマに出演していましたが、やっているうちに「思ったのと違うな」と気づいたらしく、後に歌やダンスを同時に出来るアーティストになろう!と決意。
スクールで観たジャネット・ジャクソンの楽曲「Rhythm Nation」のミュージック・ビデオに衝撃を受けたことがきっかけでした。
1992年、SUPERMONKEYSのメンバーとして、「恋のキュート・ビート/ミスターU.S.A.」でメジャーデビュー。
実は安室奈美恵さんは、実は1993年12月、第44回NHK紅白歌合戦に森口博子のバックダンサーとして出場していました。
平哲夫さんの紹介でMax松浦さんを紹介され、1995年1月に、Max松浦のプロデュースによるユーロビートのカバー曲「TRY ME 〜私を信じて〜」をシングルリリースしました。
こちらはミナミスポーツのCF曲に起用されて、安室さん自身も出演しました。
オリコン初動は49位となりましたが、有線を中心に上昇し、ディスコなどでのユーロブームも重なって累計売上73万枚の大ヒットとなり人気上昇しました。そして松浦さんのパートナーである小室哲哉さんに出会いました。
安室奈美恵、小室プロデュース時代
そこから安室さんといえば小室哲哉さんのプロデュース曲がどんどんとヒットし、誰もが魅了されました。
1997年1月に、ドラマ『バージンロード』の主題歌に「CAN YOU CELEBRATE?」が起用されて、翌年2月にシングルリリースされると売上初動が同年首位となる記録を見せて、7週目にはダブルミリオンを突破しました。
そしてオリコン年間シングルチャート首位を獲得し、同時に、邦楽女性ソロアーティスト歴代1位のシングル売上を記録しました。
その年の3月に、前年の売上を対象とした第11回日本ゴールドディスク大賞で邦楽部門大賞を初受賞し日本に衝撃を与えました。
安室奈美恵さんといえば2017年9月18日に引退を発表。
そして42018年9月18日に40歳という節目で引退をしました。
引退を発表してから引退をするまで、さまざまな影響を世界に与えました。
引退を考えたのは、安室さんが妊娠をしてそこから引退を常に考えていたそうです。
とはいっても、安室さんは納得するまでやろうと決めていたといいます。
引退したらテレビやライブはもちろん、アーティストとしてもう皆の前には絶対に出ることはない。
そのために自分が納得するまでやりきったと思えるまでにこんなに時間がかかったとテレビ特集では言っていました。
その意思もプロの決断でかっこいいなと思いました。
その頃から常に、息子のことを一番に考えて、息子に恥ずかしくないように、息子が後ろ指を指されないように、歌詞とかも変な言葉はないか、恥ずかしい思いはしないかなど、念入りにチェックしていたそうです。
そのような、アーティストとしても母としても本当にかっこいい生き方をしている安室さんは素晴らしいと思います。
引退までの最後のライブも今までのファンにありがとうと心を込めて直接言いたかったという意思を尊重していたそうです。
最後までかっこいい安室さんは引退しても皆さんの心の中にあり続けると思います。