山口百恵の若い頃画像を集めました。
デビューから三浦友和と共演、引退までの経緯もまとめています。
山口百恵の経歴プロフィール
本名:三浦百恵(みうら ももえ)(旧姓:山口)
生年月日:1959年1月17日(59歳)
出身地:神奈川県(出生地:東京都渋谷区恵比寿)
身長:158㎝
血液型:A型
配偶者:三浦友和(俳優)
長男:三浦祐太朗(歌手)
次男:三浦貴大(俳優)
旧所属事務所:ホリプロ、ソニー・ミュージックエンタテインメント
山口百恵さんは渋谷区恵比寿で生まれ、幼いころに横浜市へ転居、デビューした中学生の頃には横須賀市に住んでおり、後に自身の歌にもその地名が活かされることになりました。
百恵さんがデビューするきっかけになったのは数々のスターを輩出した伝説のオーディション番組『スター誕生!』でした。
既に歌手として活動していた同い年の森昌子さんに憧れたことから出演を決意し、応募したそうでしたが、当初の評価としては『歌手は諦めた方が良い(阿久悠さん)』という厳しいものでした。
しかし、1973年に映画『としごろ』に出演、その主題歌で歌手デビューを果たした百恵さんは『花の中三トリオ』として桜田淳子さん、森昌子さんらと活躍していくことになります。
年齢相応のイメージで作られた曲『としごろ』から第二弾の少し大人びた曲『青い果実』へと移行していき、1974年に『ひと夏の経験』が大ヒット、その年齢・外見と歌に込められた背徳感のギャップというイメージ戦略は大当たりして、他の追随をゆるさない百恵さんのキャラクターが確立していったものと思われます。
しかし、そうした“きわどい路線”に進みながらも、百恵さん自身の価値観は堅実であり続け、
スキャンダラスなことからはもっとも遠い存在になっていったのです。
この当時の人気ぶりを示す一端が『ちびまるこちゃん』の作中でも描かれています。
テレビの歌番組やコンサートの『百恵ちゃん』を応援する子供たち。
作中でフューチャーされていた昭和の大スターは何人もいましたが、原作者のさくらももこさんがお気に入りだったのが山口さんだったようで、繰り返し登場していました。
山口百恵と三浦友和の出会い
山口百恵さんの運命を大きく変えたのが1974年の映画『伊豆の踊子』でした。
この作品で共演したのが後に夫となる三浦友和さん。
二人はこのあとも数々の映画、ドラマで共演を重ね『ゴールデンコンビ』と言われるようになりました。
当時19~20歳とかなり若かったはずなのに、その妖艶なまでの美しさは多くの作品に残され、今なお多くのファンがいます。
また、テレビドラマで有名なのが1974年からスタートした『赤いシリーズ』です。
父親役の宇津井健さん、そして人気が最高潮になった『赤い疑惑』、『赤い衝撃』では三浦友和さんも共演し、引退するまでの間に全六作にも及んだのでした。
1976年には『横須賀ストーリー』(阿木燿子・宇崎竜童作)でヒットを飛ばし、二年後には紅白歌合戦のトリを10代で務めるなど、歌でも数々の記録を残した百恵さんは、しかしこの時期大きな決断をしていたのでした。
山口百恵の引退
1979年、人気絶頂期にあって、山口百恵さんは三浦友和さんとの交際をオープンにし、翌年には婚約・引退を発表するのでした。
その頃に発表された自叙伝『蒼い時』は彼女の中にあった生い立ちや生活、恋の話を赤裸々に、しかし丹念に真摯に描いたものとして衝撃をもって受け止められ、百恵さんの存在そのものが社会現象となっていったのです。
彼女が全てのお仕事から引退することになったファイナルコンサートは日本武道館を満席にし、そのステージにマイクを残して去るというその潔い姿がいつまでも全国のファンの目に焼き付いていたのです。
その一月後には盛大な結婚式、そして披露宴が行われ、宇津井健夫妻が仲人を務め、三浦百恵さんになりました。
以来、二人の息子さんを育て、堅実に専業主婦として生きてきたのです。
その息子さんたちが歌手・三浦祐太朗さん、そして俳優・三浦貴大さん。
ご両親からの素質と努力の才を受け継いだお二人が、それぞれ次世代としてご活躍なのは多くの方がご存知でしょう。
百恵さんご本人は、ご趣味のキルトでプロ並みの腕を披露する大きなイベントなどで目撃されることはありますが、人前で歌うことも殆どないままに、今なお伝説の女性として多くの人の心に存在し続けているのです。
山口百恵の若い頃画像!
好きな人と結婚し、芸能界をスパっと辞めて専業主婦になった山口百恵さんに憧れる女優さんは多いようですね。
引退した後も憧れられる存在なんですね。