元AKB48の前田敦子さんの若い頃画像を集めました。
現在は女優として活動しています。
前田淳子の経歴プロフィール
本名:前田 敦子(まえだあつこ)
生年月日:1991年7月10日
出身地:千葉県市川市
身長:161m
体重:不明
血液型:A型
事務所:太田プロダクション
配偶者:勝地涼
AKB48の初期メンバーでセンターとして活躍していた前田敦子さん。
今ではすっかり唯一無二の存在感ある女優さんになっていますよね。
幼少期は千葉の郊外で育ちお姉さんと外で遊んでいるような素朴な少女でした。
内向的な性格で学校でも目立たないタイプだったそうです。
今でもその感じはありますよね。普通の女の子の感じ…というか。
そんな皆が思う「普通の女の子」同様、年頃になるとファッション誌などで活躍する同じ年頃のモデルさんやタレントさんに憧れを持つようになります。
ある日、街に張ってあったポスターを目にしてお母さんに「やりたい!」と突然言ったそう。
それがAKB48のオープニングメンバーの募集。
自分の娘の性格をもちろんご存知のお母様も驚いたのでは。
でもわが子がやりたいって言ったらもちろん応援するし心配と嬉しい気持ちでいっぱいだったでしょうね。
応援したこのころまだ中学生、思い切った決断でした。
アイドルとしての性格では間逆の「前に出たがらない」「人見知り」という性格の前田敦子さんでしたが意外なエピソードがあります。
学校にスポーツが得意で大人気の男子がいたそうですが、前田敦子さんは「その男子より自分のほうが有名になる」と思っていたとか。
そうなる自信とその素質が充分にあったのかもしれません。
前田敦子、AKB48になる
AKB48オープニングメンバーのオーディションへ思い切って応募した前田敦子さん。
応募総数7924名、オーディションでは芸能界のキャリアがある人たちも多かったようです。
そんな中、合格者24名のひとりとして見事合格します。
普通の学生だった前田敦子さんが合格した理由といわれているのが「練習への集中力」。
ダンスの練習を見ていた審査員である振付師の夏まゆみさんによるプッシュがあったそうです。
そうしてAKBのオープニングメンバーとして選ばれステージに立つことになります。
最初から売れているグループではなかったのでスタートの頃は観客も少なく苦労も多かったとか。
またほかのメンバーと違ってダンスも最初からできるわけでもなく、居残りで練習に励んできました。
そうやって頑張ってきた前田敦子さん。
あるときプロデューサーの秋元康さんによってAKB48のセンターに決定されます。
しかし人一倍努力をしているのにも関わらず「目立つことが嫌だ」と泣いて訴えたそうです。
アイドルの世界に自分で入ってきたのに…と周りの人たちは驚いたことでしょう。
でも当時15歳、敏感な思春期でもともと内向的な性格もあったからでしょうね。
そんなまっすぐで自分に素直なところが前田敦子さんの魅力でもあります。
またAKBの中でセンターになりたくないと言っていたのが唯一、前田敦子さんだったとか。
そんな彼女はAKB48の「不動のセンター」としてさ名言や伝説を残すこととなります。
前田敦子のAKB卒業
「私のことは嫌いでもAKBのことは嫌いにならないでください!」
第3回AKB総選挙で1位に返り咲いたあまりにも有名な伝説の言葉。
不動のセンターの地位にあった前田敦子さん。
この頃には曲もヒット、メディアへの露出もふえ人気や話題はAKB48が独占していました。
メンバーそれぞれもキャラがたち多くのファンがついていきます。
そうなると前田敦子さんのような中心メンバーにはアンチが現れるのも仕方のないことです。
しかし彼女はそんなアンチの声にも耳を傾け自分を磨くことを忘れませんでした。
一方で幼い頃からの「演技をしたいという」夢に再び目覚めていきます。
AKBのオーデションではその可能性があるから受けたともいわれています。
憧れは歌手と女優をこなす柴咲コウさん。オーディションで歌ったのも彼女の曲。
まだAKB48に所属していた2017年に初めて映画「あしたの私のつくり方」で女優としてデビューします。
以降、アイドルと女優の仕事を進行していきながら本格的に女優へ転身することを決めました。
そうしてAKB48の卒業を発表。
あの時、多くの人たちが衝撃を受けましたよね。
実際、オリコンによる「印象に残ったアイドルランキング」では2位の山口百恵さんをおさえ1位にあがっています。
そして前田敦子さんの卒業公演のチケットは900倍以上の競争率になってしまうという伝説があります。
14歳からスタートメンバーとして、また不動のセンターとして活躍したAKB48を21歳で卒業。
それからは見事に夢をかなえ存在感ある女優さんとして順調にキャリアを積んでいます。