井浦新(いうらあらた)の若い頃画像をまとめました。
10代の頃の透明感がすごいんです。
井浦新(いうらあらた)のプロフィール
本名 :井浦新
生年月日:1974年9月15日(44歳)
出身地 :東京都日野市
身長 :183cm
体重 :非公表
血液型 :A型
事務所 :テンカラット
配偶者 :(既婚)
井浦新さんは、もともと大学生の頃にかかわっていたインディーズブランドのお仕事からモデルへと転身し、1990年代の後半に『MEN’S NON-NO』や『an・an』といった有名ファッション誌の表紙を務め、パリコレ、東京コレクションといったランウェイの常連となっていきました。
183㎝の長身、そしてバランスの取れた体躯によって堂々とした存在感が美しく、トップモデルとして活躍するようになります。
市川実日子さんと。90年代な感じがいいですね!
当初は本名で活動されていましたが、モデルのお仕事が増えたころから、芸名として『ARATA』を名乗るようになっていました。
ファッション関連の仕事としては、1998年に自らブランドを立ち上げ、現在では『ELNEST CREATIVE ACTIVITY』として独立、デザインを担当されています。
井浦新の若い頃画像!
井浦新の若い頃画像を紹介しています。
ものすごく透明感がありますね。
井浦新(いうらあらた)の俳優活動
役者としての彼が才能を開花させたのは映画『ピンポン(2002年公開)』、そして数々の作品を経て出演した若松孝二監督の『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(2008年)』です。
また、堤幸彦監督の『20世紀少年』でも物語のキーマンともなる謎の青年・田村を演じ、ARATAという名前が広く知れ渡るようになりました。
このころから幅広い役柄を演じるようになった彼は、その役柄に応じて『ARATA』と『井浦新』の名前を使い分けるようになりました。
きっかけともなったのが、大河ドラマの『平清盛(2012年)』で崇徳天皇を演じたことだったようです。
怨霊になったという伝説のある、歴史に名高い孤独な天皇を演じるにあたって、本名を使うことになった、というのですが、その流れで、現在のように完全に“井浦新”名義にもどしたことについては、決定打となったのが若松監督の『11・25 自決の日 三島由紀夫と若者たち』に主人公・三島由紀夫役で出演したことでした。
ご本人の『三島由紀夫を演じた役者の名前がアルファベットでエンドロールに出ることが好ましくない』という気持ちの表れだそうです。。
それ以降は全て本名で通していらっしゃいます。
若松孝二監督とは2008年以降さまざまなお仕事をご一緒にされていましたが、2012年のそのご葬儀では弔辞を読み、さらに白石和彌監督の『止められるか、俺たちを』で1960年代後半、若き日の若松孝二監督の姿を演じていらっしゃいます。
その心酔ぶり、いかに若松孝二と言う人物をリスペクトしていたか、が伝わってきますね。
意外なところで、長年レギュラーを務めていたのが、NHKの『日曜美術館』の司会でした。
井浦さんはデザインのお仕事をされていることから、モノづくり、美術や工芸に対する意識が強く、作品に対しても造詣が深かったのです。
絵画や彫刻といった数々の作品、そして作者やその時代に対する尊敬の姿勢がとても好ましく、5年にわたって日曜の朝09:00から一時間、落ち着いた声で多くのことを語ってくださいました。
井浦さんの本質を見抜いてキャスティングした人の慧眼は素晴らしいものでした。
また、その頃、彼が他の作品の中で、どんなに激しい役、破滅的な役を演じていたとしても、その振れ幅がまったく感じられないほどに落ち着いた佇まいを貫いていたのです。
彼の素の為人がよくわかる、それはとても貴重な時間でした。
最近では、法医学者やケースワーカーなど、独特のキャリアをもつキャラクターを演じることが多くなりました。
役としては、物語の世界の中でも地味な存在なのですが、その立ち姿にはとても華がある。
ふとした瞬間にじわりと色気のようなものがにじむ、そんな素敵なお芝居を見せてくれる稀有な役者さんです。